伊藤ヒロ ヒストリー9

それからシータヒーリングでもうひとつ、

思い込みを変換したことがあった。

それは、

「お金がなくても、幸せならそれでいい」

という思い込みだった。

 

僕は

「お金なんていらない」

という、思い込みを自分自身が作り上げていたのだ。

案の定、会社に勤めていたとき、

昇進しても給料が上がるわけでもなかったし、

いくらたくさんの時間を働いてもお金は貯まるわけでもなかった 。

僕はお金に対して、「ほしい」と心では思っているが

言葉にして言えなかった。

なぜならば、「ほしい」と言えば、

他人からどう思われるかをまず気にするからだ。

 

僕はこうダウンロードをしたのだ。

「お金は幸せになるための一つのツールだ」と。

そう考えれば、「お金、ほしいですか?」と聞かれれば、

即答で「ほしいです」と応えれるようになった。

現実に僕は

・お金はきたないもの

・お金を持っていると、誰かにねたまれる。

・お金はだれかにもらえるもの

・お金はいつかは手に入る

・借金は財産

と、思っていた。

この思い込みは正直、なかなかとれなかったが、

シータヒーリングの豊かさと願いの実現セミナーで半分ぐらい書き換えが出来き、

ゲームオブライフで、随分書き換えをした。

そして、 僕は自分の中にあった、

数えきれないほどの不健全ないろいろな思い込みを書き換えた。

そうしたら、自分の目の前にある世界がガラッと変わったのだ!

つづく・・・

 

7/14・15・16 シータヒーリング基礎セミナー

 

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6/1・2・3 伊藤マナ・高野山リトリート

 

期間・日程限定の伊藤ヒロ個人セッション

伊藤ヒロ ヒストリー8

2010年に僕は劇的な出会いがあったことを書くことを忘れてました。

それはあけみちゃんこと岡部明美さんとの出会いだ。

 

岡部明美さん(あけみちゃん)との出会いは、

パートナーの伊藤マナと僕とで、2010年4月に初めて、

あけみちゃんの

「1DaYワークショップ」を

名古屋で主催させていただいたことがご縁だ。

主催なんて初めての仕事で、

わけがわからないながらも一生懸命やらせていただいた。

あけみちゃんの参加者一人ひとりへの心のアプローチの仕方は、

僕が全く知らなかった世界で、

僕自身が一番驚いたのではないだろうか?

「こんな世界があるんだ?!」

「この人はいったい誰だ?」

しかし、僕は、伊藤マナの世界、

あけみちゃんの世界〜つまり、

心の世界、潜在意識の世界、

人の意識の変容に

この頃から非常に興味をもつようになった。

その後、2010年5月から

「岡部明美カウンセラー&セラピスト養成講座第3期名古屋の主催」

を伊藤マナとともにさせていただくことになった。

(注)あけみちゃんのカウンセラー&セラピスト養成講座は、第6期からは「LPL養成講座」に名称が変更になっている。

 

僕はカウンセラー&セラピスト養成講座・名古屋3期の

第2講目にみんなの前であけみちゃんにセッションをしてもらった。

通称『大まな板』に乗せてもらったのだ。

その時のテーマは

『父に対する怒り、憤り。父を許せない』だった。

僕の父はエニアグラムでいうと『タイプ8』だ。

昭和35年9月1日に和菓子屋を名古屋市南区に開店し、

26日後に、伊勢湾台風でほとんどのものを流されてしまい、

そこから裸一貫で和菓子屋を立ち上げてきた人だった。

しかし、父は、僕が高校時代から浮気を繰り返し、

やがて、それは、家族への影響だけでなく、

商売にまで影響を与えるようになった。

そんな父のことがずっと許せず、

店をたたんでからもその感情は消えずにいたのだ。

 

 

あけみちゃんのワーク&LPLは、
自分の人生の棚卸をするときもあれば、
未来に向かって一歩踏み出せる勇気をもらったりだとか、
一言では言い表わせないかもしれない。
まずは体験体感しないとあけみちゃんワークの素晴らしさは
わからないかもしれない。
彼女は本物でもあり愛が溢れている。

岡部明美さんHP

 

 

 

続く。。。

湯河原のご縁の社にてあけみちゃんとチャッキリさんと^_−☆

 

 

 

 

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伊藤ヒロ ヒストリー7

それからシータヒーリングでもうひとつ、思い込みを変換したことがあった。

それは、

「お金がなくても、幸せならそれでいい」

という思い込みだった。

この思い込みが僕に

「お金なんていらない」

という、思い込みを自分自身が作り上げていたのだ。

案の定、会社に勤めていたとき、昇進しても給料が上がるわけでもなかったし、

いくらたくさんの時間を働いてもお金は貯まるわけでもなかった 。

僕はお金に対して、「ほしい」と心では思っているが

言葉にして言えなかった。

なぜならば、「ほしい」と言えば、他人からどう思われるかをまず気にするからだ。

僕はこう考えた。

「お金は幸せになるための一つのツール」と。

そう考えれば、「お金、ほしいですか?」と聞かれれば、

即答で「ほしいです」と応えれるようになった。

現実に僕は

・お金はきたないもの

・お金を持っていると、誰かにねたまれる。

・お金はだれかにもらえるもの

・お金はいつかは手に入る

・借金は財産

と、思っていた。

この思い込みは正直、なかなかとれなかったが、

シータヒーリングの豊かさと願いの実現セミナーで半分ぐらい書き換えが出来き、

ゲームオブライフで、ほぼ書き換えが完了した。

そして、 僕は自分の中にあった、

数えきれないほどの不健全ないろいろな思い込みを書き換えた。

そうしたら、自分の目の前にある世界がガラッと変わったのだ!

つづく・・・

 

 

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伊藤ヒロ ヒストリー6

シータヒーリングは、自分の思い込みを見つけ、

その思い込みを無くし、

自分にとって最高最善の状態になっていく過程に驚いたからだ。

 

 

例えば僕は以前、

「早くしないと、自分だけ残されて、だれもいなくなる。」

という思い込みから「トマト事件」を思い出したことがあった。

そのトマト事件とは、、僕はトマトが大嫌いだった小学校の時の話で、

僕は小学校の給食で、いつもトマトを残して食べずに、家に持ち帰っていた。

ある日トマトを残してこっそり家に持ち帰ろうとすると、

誰かが、先生に

「あっ!トマト食べずに持つてかえろうとしてる!!」

と、先生に伝えられて、先生は、授業後、残って食べてから帰りなさい!!!

と言い、授業後、何人か持って帰ろうとしたトマト嫌いな人は残った。

3人もトマト嫌いな人がいた。

 

 

僕は絶対に食べようとしなかった。

他の2人はなんとか1時間ぐらいかけて、

トマトを食べてから帰ってしまったが、

僕だけ、食べる事ができずにその後も教室に残った。

17時は過ぎていただろう。時間をかければ食べずに帰れる・・。

ふと、トマトとにらめっこをしていると、

父が先生に呼び出されて僕を迎えに来た。

父は「おまえ!トマト食べんかったら家に入れんぞ!!!」

と鬼のような形相で僕に言った。

先生は父に「伊藤君がトマトを食べるようにしてください!」と言った。

父は先生に「いつも食べるように言ってるんですがねぇ~」

父は僕の味方もせず、

まるで僕を犯罪者のように扱った。

悔しかった。泣きたかった。叫びたかった。

 

 

そんな思いを二度としたくないから

僕は誰よりも物事を素早くしないといけないし、

早くしないと自分だけ残されて、だれもいなくなる

と自分で自分に思い込みを作ってしまった。

僕の思い込みは、

・遅いことはだれにもできる。

・ゆっくりしていても時間がたてば許される。

・だれよりもスピーディーだとかっこいい。

・遅いと怒られる 。

・早く物事を済ませないと取り残される。

・いつも時間がない 。

・トマトは嫌いだ。

 

 

シータがすごいのはここからだ!!!

この思い込みをシータで置き換えてみた。

シータにより、この思い込みをすっかり、なくしてくれたのだ。

この書き換えにより、体力的にも余裕を持てるようになり、

実際にも、物事が早くても遅くてもスムーズに回るようになった。

ちなみに今はトマト大好きです。

今までの思い込みはなんだったんだろう???と思うくらい、

思考を変換してくれる、

シータヒーリングは本当にすごいと思った瞬間だった。

 

つづく。。。

 

 

 

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伊藤ヒロ ヒストリー5

僕がクリスタルボウルを奏でることに必要だったことは、

まずは自分の心をクリーニングすることだった。

そのクリーニングをするのに、シータヒーリングを選んだのだ。

 

僕のパートナーの伊藤マナは現在、

シータヒーリングの最高峰のインストラクターでもあり、

シータジャパン認定プロコーチでもあり、

シータヒーリングが大好きで

教えることもほんとに楽しく教えている人だ。

 

そんな彼女から教えてもらった

最初の基礎セミナーでは、

僕は、うさん臭く思い、

あまり自分の心に響かなかったのだ。

しかし、シータヒーリングの中で、

『ダウンロード』と言うことがスキルの中にあり、

その『ダウンロード』をしてもらうたびに

なにか新しい変化があったり、

自分の心が落ち着いたり、

なぜか不思議な現象が起きて、

結果、自分が何かしら、変わっていたりだとか、

目の前で起きることなどがまったく変わってきて、

『こりゃ面白い!』っていうことになったのだ!

このシータヒーリングでセッションをするたびに

自分自身が変わるのを実感したため、

僕もこのスキルをパートナーと共にいろんな人に教えたい!

と率直に思ったのだ。

 

 

つづく・・・

 

 

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伊藤ヒロ ヒストリー4

そんな中、僕はアルバイトの休みの時には

Manaのお手伝いをしていた。

クリスタルボウル演奏会や

アーユルヴェーダのセッティング、

後片付けなどを快く引き受けて進んでしていた。

特にクリスタルボウル演奏会はいろんな人がきてくださるので、

楽しくてしかたなかった。

 

この時だった。

「僕もクリスタルボウルの演奏者になりたい!」と、思い、

そしてManaと共に二人三脚で

クリスタルボウルを奏ではじめた。

高校時代、僕は吹奏楽部に所属し、

アルトサックスを吹いていた。

音や音楽に関することは

本当に好きだったということに気が付いた。

 

 

18歳のころ、渡辺貞夫に

あこがれていたことを思い出した。

もし、僕に家業がなかったら、

プロのミュージシャンとして、

サックスプレーヤーになりたい

と思っていたころがあったのだ。

 

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伊藤ヒロ ヒストリー3

そんなある日、

名古屋での仕事があるというお話が

知人から舞い込んできた。

 

「名古屋は僕のふるさと」と思い、

7年間楽しく仕事をさせていただいた

岡山のホテルを退社し、

名古屋へ引っ越しをした。

 

 

名古屋での仕事は4店舗ある、

飲食店のマネージメントだった。

そして名古屋に引っ越しをしてから半年後

僕の父親から、

「もうわしは歳だから帰ってきてくれ」と電話があった。

「もう親孝行は今しかできないかも・・・」と思い、

家業を継ぐのではなく、

戻るという、選択をしたのだった。

 

 

あれだけ、家業に抵抗を感じていた自分がなぜ家業に戻ったのか

本当の意味では未だにわからない。

その家業の実態は借金まみれだった。

 

 

数億円の借金・・・。

自分に払えるわけがない。

すこしでも借金を返すためになにをしよう・・・。

そして考えたのは、ネット販売だった。

 

 

僕の一番得意で一番おいしいと思ったものを

ネット販売で必死で販売した。

結果、ある時期ではランキング2位という結果だった。

もちろん、このネット販売では黒字だったが、

お店は赤字で、

そして僕は無収入だった。

 

 

どう考えてもこの売上では

借金は返せそうもなく、

両親に数字を説明し、

お店を畳む方向で考え、

家業に戻ってから4年後にはお店をたたみ、

土地も建物も売り、

借金をすべて払い終えたかに見えたが、

やめてからも父親の友人から借りていた借金が判明し、

僕は自分の生活までも危なかったので

昼間はト〇タホームの工場で働き、

夜中も製紙工場でアルバイトで働いた。

つづく。。。

 

 

ト〇タホーム

 

 

アルバイトをしていた製紙工場

 

 

 

 

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伊藤ヒロ ヒストリー2

日本に帰ってきてから

ある人からの紹介で

岡山県のホテルを紹介され、

そのホテルに就職。

そのホテルでは自分の作りたいデザートを沢山作ることができたのだ。。

しかもこのホテルの料理長は「料理の鉄人」の

フレンチの鉄人坂井さんに勝利した、フランス人シェフだった。

彼からは料理に対する姿勢を沢山学び、

人間としての生き方を教えていただいた。

 

 

そんな中、1か月もの間、夜になると熱が上がり、

昼は仕事をしていてなんともないのだが、

自分の身体のバランスがおかしな状態となっていった。

仕事も年末を迎えていたため、

病気で休むことができなかった。

というか、自分が休むことに対して、

許可を出せなかったのかもしれない。

 

 

病気は悪化し、厨房の冷蔵庫の下の材料などを

しゃがんで取れなかったり、

口の中は口内炎だらけで手ははれ上がり、

包丁すら握れなり、

料理の味すらもわからなくなってしまったのだ。

休みの日にすぐさま、病院に行き、

お医者さんから、「入院です」と告げられた。

 

苦痛だった。僕が抜けたら、

仕事の負担を皆んなにかけてしまう。

そして、上司に病院から電話をし、入院の事を説明すると、

「おまえはよくやった。ゆっくり休め」と・・・。

 

 

病院の先生は、

「膠原病の疑いがありますので、大きい病院に移った方がいいです」

僕は不安がよぎった。

とりあえず、最初に診察をした病院から、

大きな病院の岡山医大を移り、僕は治療に専念した。

しかし、毎日毎日、検査ばかりで、

病名ははっきり知らせてくれなかった。

ある内科の先生は

「白血球の値が異常に高いので、急性白血病も考えられます」と・・・。

はぁ???白血病???

頭の中は真っ白になった。

 

この時僕は自らの「死」を選ぶのではなく、

病気による「死」を待つということを思い、

最悪の精神状態に陥った。

早く職場に戻り、デザートを作りたいと思い、

病気から生還する事しか考えなかった。

そのとき、色々な人から勇気をもらったり、励ましてくれたり、

時には車で2時間近くもかかる病院までお見舞いに来て、

明るくふるまってくれた職場の仲間も居た。

 

 

結果的には『ウイルス性疾患、白血病、膠原病』などと

病名を色々と名前を付けられたが

その病気になる可能性が

病気が治る可能性へと希望を持たせる結果となり、

僕にとっては長い闘病生活になり、

リハビリなども本当に苦しかったが、

なんとか乗り切り、

僕は復活し、仕事に復帰した。

 

 

 

仕事に復帰してから、

自らサービスの勉強もし、

ソムリエになるための勉強もした。

 

そしてソムリエの試験を受講。

結果は2次試験で不合格。

理由はフランスアルザスのワインとドイツワインの

初歩的なテイスティングを間違えてしまったからだ。

そして、結婚式のキャプテンなども務め、

お客様の喜びが自分の喜びと実感し、

もっと楽しいことをしようといろんな企画も立て、

自らが仕事を楽しむことを生きがいと感じていた。

 

 

そんなある日から思いもよらない展開になってきてしまったのだ。

 

つづく。。。。

 

 

岡山のホテルでフランス人シェフと。

 

グアムでダイビングのアシスタントをしてた頃の写真

 

ニュージーランドでの写真

 

 

 

ハートクリエイション今後の予定です。

https://www.reservestock.jp/page/event_calendar/4792

 

6/1・2・3 伊藤マナ・高野山リトリート

伊藤ヒロ ヒストリー1

196418日に名古屋市内にて和菓子・洋菓子屋の長男として生まれる。

生まれてから高校卒業まで家業を継ぐことに対して不安などを感じつつ、

高校卒業後は東京の宮内庁ご用達のお店の和菓子屋に就職した。

しかし、

「こんな自分は世の中に必要じゃない。」

「どうせ才能もないからお菓子屋を継いでもダメ。」

「僕は誰にも必要とされていない。」

と思い、電車に飛び込み自殺をして、死にきれず、電車を止めてしまったり、

いつでも死ねるように天井からロープをつるして、何度も自殺未遂までしていた。

そんな悩みをいつもManaは聞いてくれた。

そして27歳のときにManaと結婚。

 

僕の家業をManaと共に手伝うが、どこかに違和感を感じていた。

「このまま家業を継いでいいのか?自分のしたいことは本当に家業なのか?」

と思いつつ、日本を離れ、二人で海外に住んだ。

住んだ国はグアム、ニュージーランド、オーストラリアだった。

グアムではダイビングの仕事をしていたが、ビザの関係上、

働いてもお金をいただけなかったので、

自給自足で魚やカニやエビを海で取って、

餓えを凌いでいた。

 

ニュージーランドでは、5スターホテルのペストリー(デザート部門)に所属し、

日本の和菓子を、世界を代表する著名人に提供。(今思えば大スターばかり)

僕はこの時、お菓子を作る事にはなにも抵抗はなく、むしろ、

大好きだったことに気が付いた。

自分が必死に抵抗していたのは、

「家業をつぐこと」と、

「誰がたべるのかわからないこと」だったことに気づいた。

ニュージーランドのあるカフェのオーナーから、

「就労ビザを出すからうちで働かないか?」

とお声掛けをいただき、就労ビザを取得するため、日本に帰国。

しかし、両親が猛反対。「もう、遠いところへは行かないで!」と・・・。

ニュージーランドへの再渡航はあっさりと諦めた。

 

つづく

 

ニュージーランドで一緒に働いていたマラさんと。

 

マラさんの結婚式

 

 

 

 

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