伊藤ヒロ ヒストリー2

日本に帰ってきてから

ある人からの紹介で

岡山県のホテルを紹介され、

そのホテルに就職。

そのホテルでは自分の作りたいデザートを沢山作ることができたのだ。。

しかもこのホテルの料理長は「料理の鉄人」の

フレンチの鉄人坂井さんに勝利した、フランス人シェフだった。

彼からは料理に対する姿勢を沢山学び、

人間としての生き方を教えていただいた。

 

 

そんな中、1か月もの間、夜になると熱が上がり、

昼は仕事をしていてなんともないのだが、

自分の身体のバランスがおかしな状態となっていった。

仕事も年末を迎えていたため、

病気で休むことができなかった。

というか、自分が休むことに対して、

許可を出せなかったのかもしれない。

 

 

病気は悪化し、厨房の冷蔵庫の下の材料などを

しゃがんで取れなかったり、

口の中は口内炎だらけで手ははれ上がり、

包丁すら握れなり、

料理の味すらもわからなくなってしまったのだ。

休みの日にすぐさま、病院に行き、

お医者さんから、「入院です」と告げられた。

 

苦痛だった。僕が抜けたら、

仕事の負担を皆んなにかけてしまう。

そして、上司に病院から電話をし、入院の事を説明すると、

「おまえはよくやった。ゆっくり休め」と・・・。

 

 

病院の先生は、

「膠原病の疑いがありますので、大きい病院に移った方がいいです」

僕は不安がよぎった。

とりあえず、最初に診察をした病院から、

大きな病院の岡山医大を移り、僕は治療に専念した。

しかし、毎日毎日、検査ばかりで、

病名ははっきり知らせてくれなかった。

ある内科の先生は

「白血球の値が異常に高いので、急性白血病も考えられます」と・・・。

はぁ???白血病???

頭の中は真っ白になった。

 

この時僕は自らの「死」を選ぶのではなく、

病気による「死」を待つということを思い、

最悪の精神状態に陥った。

早く職場に戻り、デザートを作りたいと思い、

病気から生還する事しか考えなかった。

そのとき、色々な人から勇気をもらったり、励ましてくれたり、

時には車で2時間近くもかかる病院までお見舞いに来て、

明るくふるまってくれた職場の仲間も居た。

 

 

結果的には『ウイルス性疾患、白血病、膠原病』などと

病名を色々と名前を付けられたが

その病気になる可能性が

病気が治る可能性へと希望を持たせる結果となり、

僕にとっては長い闘病生活になり、

リハビリなども本当に苦しかったが、

なんとか乗り切り、

僕は復活し、仕事に復帰した。

 

 

 

仕事に復帰してから、

自らサービスの勉強もし、

ソムリエになるための勉強もした。

 

そしてソムリエの試験を受講。

結果は2次試験で不合格。

理由はフランスアルザスのワインとドイツワインの

初歩的なテイスティングを間違えてしまったからだ。

そして、結婚式のキャプテンなども務め、

お客様の喜びが自分の喜びと実感し、

もっと楽しいことをしようといろんな企画も立て、

自らが仕事を楽しむことを生きがいと感じていた。

 

 

そんなある日から思いもよらない展開になってきてしまったのだ。

 

つづく。。。。

 

 

岡山のホテルでフランス人シェフと。

 

グアムでダイビングのアシスタントをしてた頃の写真

 

ニュージーランドでの写真

 

 

 

ハートクリエイション今後の予定です。

https://www.reservestock.jp/page/event_calendar/4792

 

6/1・2・3 伊藤マナ・高野山リトリート