先日の続きです。
毎回毎回、電話をするのが楽しみでした。
また僕の悩みを聞いてもらえる。
そしてあの「マブイ子と話ができる」と
いつもそう思い、電話をしてました。
電話の時間はいつも2時間~3時間
毎回親に「いつまで電話しとるん!!」と
叱られていました。
冬至は電話賃も自分が払っていたわけでないので、
経済的にも恵まれていたし、
電話賃のことなんかまったく気にしていませんでした。
今となれば、バカ息子だったなぁと反省していますが。。。
そして22歳~25歳ぐらいまでは、
半年~1年に1回か2回は名古屋でみんなと会う時とか、
時には僕が彼女の住む関西まで、行っていました。
それがもう、嬉しくって嬉しくって。
トキメキが止まりませんでした。
僕が彼女の住む、関西に行くと、
必ず彼女が連れて行ってくれるところがありました。
それは、僕の勉強のために、菓子屋を巡ることでした。
もうね。お菓子屋廻ることなんかより、一緒に居るだけで
幸せホルモンが爆発しそうなぐらい
僕だけがでれでれだったかもしれません。
そのころ彼女はとある会社に勤めていて、
商品企画部に所属しており、
大学は美大に行ってたので、
デザインでなにかをするという
夢も明確にしていました。
「日本中に私がデザインをした商品を出す」という夢を持って
仕事をしていたそうです。
で、結果、今でも彼女のデザインをした商品は
日本国中に出回っているんです。
そのころの彼女は、有言実行タイプで、
必ず言った事や
願ったことは
絶対にやり遂げたり、
達成していました。
僕はというと、親の店を継ぐということしか選択肢はなく、
夢は「親の後を継ぐこと」でした。
なので夢がある彼女を羨ましく思いました。
親がレールを敷き、
その上に乗っかって走るだけなのですが、
まったくそこに喜びは感じませんでしたし、
お菓子を作る事自体も好きではありませんでした。
なので、僕は仕事は嫌いで、
なにが楽しいのかもわかりませんでした。
そんな25歳の時に彼女は仕事を辞め、
自分で起業をしたのです。
そして当時では最先端の仕事の
「グラフィックデザイナー」の仕事をし、
退職した際にハワイへ3か月間、
仕事も兼ねて旅立ちました。
その彼女がハワイに旅立ち、
僕はそのころに付き合っていた
東京の彼女とも別れてしまい、
彼女を追っかけるようにして
失恋旅行でハワイに行くね~と彼女に言い
僕も友達と一緒にハワイへ6日間だけ
行きました。
そのハワイでの出来事が
僕たちの人生の大きな分岐点となる出来事が
あったのです。
~~~~~~~~つづく~~~~~~~~~
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