パートナーシップ22

先日の続きです。

グアムでの思い出を胸に抱き、

僕たちは次なる生活の場を

ニュージーランド(NZ)に移動をしたのだった。

僕自身、南半球は初めてだったし、

NZと言えば、羊しか思い浮かばなかった国。

空港に着いて、まずは安い宿を探し、

とりあえず数日無いし、数週間はそこを拠点に

住む場所と仕事を見つけ、滞在することにした。

場所は、NZでも一番の都会でもある、

オークランドに住みたいと思ったのだ。

まずは、お金がないので、働くところを見つけ、

生活費を稼がなければならなかった。

英語を喋れない僕には、

なかなかと仕事が見つからず、

「食」に関しては僕は経験があるので、

「食」に関する仕事を探しに、

日本製の食材が売っているスーパーに行き、

そこに貼ってあるスタッフ募集案内なども見ながら、

公衆電話から電話をし、アポイントをとって、

面接を受けに行ったのだった。

最終的にその中で僕がお世話になったのは、

「ラーメン屋」だった。

僕は食に携わってきたのだが、

お菓子以外は初めての経験で、

ましてや、ラーメン屋はまったく初めての経験でもあったし、

アルバイト自体もこれが初めての経験だったのだ。

今思えば、このラーメン屋での経験が料理を作ったり、

鍋を振る僕の原点だったのかもしれないと思う。

 

そのラーメン屋は

テーブル席4名掛けが6つ、カウンター8席で小さなお店だったが、

行列が並ぶほどの人気店で、かなり毎日が忙しかったのだ。

麺もその店お2階で自家製麺を作り、

スープも鶏ガラや豚骨や独自のレシピで作り、

かなりの本格的なお店だった。

 

メニューは、醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメン、カレーラーメン

餃子にチャーハン、野菜炒めなどと、その当時はシンプルなものが多かった。

最初は洗い物をしたり、餃子を焼いたり、接客をし、なんとか、

自分なりに仕事をこなしていったが、

1か月過ぎると、厨房で鍋をふり、チャーハンや、

ラーメンのトッピングの野菜をいためたりする

メインの仕事をしていったのだった。

鍋を振るのは正直、慣れていなかったので、

1週間もすると、完全に左腕が壊れて腱鞘炎になってしまい、

そんな状況でも鍋は振らないといけなかったのだ。

1日8時間は働いていた。

時給は日本円で当時500円ぐらい。

その時にはすでに二人で住む

アパートを見つけて住んでいたので、

ある日アパートへ帰ったときに

僕は腱鞘炎になっていることを不満とし、

彼女にこの不満をぶつけてしまったのだ。

「俺は鍋を振りにここへ来たんじゃない!!!」

自分でこのアルバイトを決めておいて、

彼女に不満をぶつけるなんて、最低だな。。。

 

でもそんな不満を持っている僕を

彼女はいつも暖かく見守ってくれた。

「あなたは何がしたいの?」

と彼女が聞いてきた。

「僕はあの5スターホテルでお菓子を作りたいんだ!」

と彼女に言ったのだった。

 

 

話がそれるが、アパートを決めたのは

NZに来てから1か月以上経ってから決めたのだった。

アパートの決め手は

このアパートでケーキが作れること。

そして新築だったこと。

新築のオーブンは魚や肉のにおいがついていないからだ。

シュークリームもケーキのスポンジもクッキーも焼ける!

と思い、このアパートを借りてケーキを作って販売したり、

練習がしたかったのだ。

 

但し、家賃が高かった。

その時、NZドルで1週間250ドルぐらいだった。

他のアパートはシングルルームだと1週間で40~50ドルぐらいだったのだが、

そのアパートは綺麗だったし、

セキュリティーもしっかりしていたし、

オークランドのど真ん中で、便利が良く、

仕事場へ行くのにもどこに行くのも便利が良かったし

おまけに駐車場も付いていた。

車も1300ドル(約8万円)のオンボロ車を購入し、

彼女は彼女で、僕のケーキを、

NZに住んでいる日本人企業の

ご家族に販売営業をしてくれて、

そのご家族のベビーシッターや、

企業の社長の身の回りのことなどの、

お仕事としていただき、一生懸命に頑張っていたのだった。

 

実際にNZのお菓子は甘ったるくって、

日本人の口に、なかなか合うものがなく、

日本人向けの味を出して作る

ケーキはまずなかったのだ。

なので、僕の作ったケーキを待っててくれる人に対して、

ラーメン屋をしながら、

アパートでケーキを作り

日本人企業のご家族のみなさんに、

食べていただくケーキを毎週2~3回

作ったのだった。

その日本人の皆さんには本当に喜んでもらえて、

製造販売するのが嬉しかったし、楽しかった。

そしてその後に奇跡が起きたのだった。

 

 

そのころよく聞いていた曲は

尾崎豊の「OH MY LITTLE GIRL」だった。

~~~~~~~~つづく~~~~~~~~

※この『パートナーシップ』のお話は、伊藤ヒロの実話を元に書いております。



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この記事を書いた人

伊藤ヒロ

伊藤ヒロ

宇宙と繋がりながら奏でるクリスタルボウル奏者。
宇宙空間を創りだすハーモニーを創造し、次元上昇へのエネルギーを増幅させ、レゾナンスによるグラビトンを起こす。