先日の続きです。
1か月もの間、
昼は仕事に行き、何もなく、普通に仕事をしていたが、
夜は40℃を超える熱を発症し、
とうとう、仕事が出来ない身体になっていってしまったのだ。
まずは包丁が握れないほどの手の腫れ。
ひざ元の冷蔵庫の材料がとれなくなり、
無理もできない状態になっていた。
あくる日がたまたま休みだったので、近くの市民病院へ行き、
検診をしてもらった。
病院の先生は、
「すぐにでも入院してください。でないと身体の保証はありません」
僕は、そんなに大したことではないと思っていて、
ただの風邪をこじらした、病気なのかなと思っていた。
しかし、かなりの深刻な状態だったのだろう。
とりあえず、家に帰り、彼女に伝え、
入院の用意をし、その日にもう一度病院に行き、
入院をしたのだった。
入院したその日はいつもと変わらず、
夜になると熱が出て、熱が下がる薬を飲んだが、
まったく熱が下がらず、看護婦さんも驚いた様子だったのだ。
看護婦さん:「伊藤さん、眠れますか?眠れないのなら、安眠剤を用意しますけど?」
僕:「いいえ、寝れるかもしれないので、薬は結構です」
と断り、極力薬は飲まないようにしたのだった。。。が、
やはり、頬とんど寝れなく、一晩を過ごしたのだった。
食欲もほとんどなく、口の中は口内炎だらけで、食物を口に入れると
痛くて、ほとんどの物が食べられなかったのだ。
次の朝、先生が、
「伊藤さん、あなたの病気はここでは治せません。もっと大きな岡山医大病院へいって、入院した方がいいです」
僕:「そうですか。わかりました。早く治るのなら岡山医大へ行きます」
と言い、忘れもしない、12/24に僕は岡山医大に移り、
ありとあらゆる検査をしたのだった。
最初は、「膠原病」の疑いがあり、
そして岡山医大では、完全に隔離され、
「急性白血病」とも言われ、
抗がん剤治療も受け、頭の毛は抜け、
身体中は痛みがなかなか収まらず、
本当に辛い日々を過ごしたのだった。
たまに仕事場の仲間が来てくれたりしたが、
僕は何もかもが終わっている感じで、
「死を迎える人」のように、話しかけられたのだ。
彼女はいつも泣きながら僕に逢いに来るし、
もう僕はここで、人生を終えることと思ったのだ。
毎日毎日、抗がん剤や薬漬けにされ、
もう一度あのパテシエとして輝いた日々にもどりたい!
と強く思ったのだった。
治療は長く続けられた。
でも僕は希望を持ち、病気と向き合った。
家を出てから僕は親に一度も連絡はしてなかった。
僕は家を出てからなにひとつ達成をしていなかったので、
親にも連絡はしたくないと思った。
ましてや、こんな姿は見せたくないと思ったのだ。
入院してから色んな人に勇気づけられ、僕はなんとか、
生き延びることができたのだった。
正直、奇跡だったと思う。
病院の先生も本当に危ない状態だったと言っていて、
僕はこのときも「死」を覚悟したのだった。
6か月の入院を終え、職場復帰にも時間はかかった。
僕は寮に住んでいたので、
いつでも寮生たちとは会社は休んでいても逢えることはできたが、
なんとなく、休んでいることに、かなり気は引けた。
そして僕は職場に復帰し、パテシエとして、
またお菓子を作り続ける日々になるとそう信じていた。
完全復帰し、前にも書いたのだが、
料理長は料理の鉄人に出演が決まり、
僕はそのアシスタントとして、
テレビに出ることになったのだ。
~~~~~~~~つづく~~~~~~~~~
※この『パートナーシップ』のお話は、伊藤ヒロの実話を元に書いております。
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