僧侶が嘆き悲しんでいます。
これは仏陀のいとこで弟子であった「あなん」が、
仏陀の亡くなった晩に嘆き悲しんでいるイメージとのことです。
解説書にある「あなん」の話は、一般的に言われているものと少し違うようです。
こちらに一般的なお話をかいつまんで書いてみます。
お釈迦様に一番近く、一番長くつかえていた「あなん」でしたが、なかなか悟りが開けませんでした。
お釈迦様がついにお亡くなりになる時、
「お釈迦様が入滅してしまわれたら、自分は誰の導きによって仏となれるのか?」
と嘆き悲しんだそうです。
その時、お釈迦様が言われた事が、「諸行無常」
「あなんよ、嘆き悲しむな。親しきものと離れ、栄えるものが衰えることは常に語ってきたことではないか。世は無常にして、生まれたるものは必ず死に至らなければならない。」
そして、「自灯明、法灯明」
「自らが亡くなった後は、自らを灯明とし、法を灯明とせよ」と教え諭されます。
法に照らされた自分を拠り所とし、自分を照らす法を拠り所としなさい。という教えだそうです。
この教えに従い、お釈迦様の入滅後も修行を続けた「あなん」は間もなく悟りを開き、お釈迦様の多くの弟子達を導いたということです。
「あなん」は一心にお釈迦様に従って生きてきて、お釈迦様を拠り所としていたために、なかなか悟りが開けなかったのかもしれませんね。
阿難とお釈迦様の年の差は30歳ほどあったそうですので、親も同然だったのではないでしょうか。(お釈迦様は80歳で入滅されたそうです)
大きな痛みや嘆きを経験して、自分と向き合うことで人は成長するのでしょう。
今日、何か辛いことや悲しいことがあったとしても、その経験はあなたを成長させるためのステップです。
そのことをわかっていれば、痛みを受け止めても惨めにはならないはずです。
人生に無駄な経験は無いということですね。
雲のカード。「雲は過ぎ去るから」と教えてくれた方もいます。
今日の嘆きも、大きな成長への可能性と受け止めて、一日頑張りましょう(*´ー`)ノ
今後の予定です(^^)/